血祭摩利氏のプラモ狂 その2

 インタビューの第1の質問は明白だ。そう、尋ね られなければならないことは「なぜプラモを集るんですか?」

短い答えではなかった。血祭氏はこの機会を、彼の伝記を伝え ることに決めたようだ。そして、それは爆笑、ビールがぶ飲み、周期的に鳴り叫ぶ携帯電話、また単に話しの内容があまりにも突飛なので聞き直したり、といっ た諸事情により幾度と無く中断させられながら始まった。血祭氏は彼自身が彼の家がそうであるのと同じくらい奇妙で。恐らく遠ーい彼方に存在しているザ・ス トレンジャーであった。

「俺が、3歳だった時、プラスチック・モデルに最初に魅せら れた。俺はそれらを組立てることにハマったんだよ。で本当に好きだったことは、それらを組立てた後にまたバラして再び組立てることだった。」

不運にも、血祭氏の母親は見つけたプラモ部品をすべてゴミだ と勘違いし役立たない故障したキットとして捨ててしまった。そして彼女は今日までまだその影響に対処している--じつに不運な決定を下してしまったので あった。

「ある日、学校から帰って来たとき、通りに多くのプラモデル の部分が落ちていて、ついていくとそこに俺が大事に持っていたすべてのプラモ備えた巨大なごみ収集トラックがいたんだよ! 実は、俺はすべての部品を底に 穴があいたダンボール箱に入れてあったから多くの部分がそこから落ちていたんだ。で、俺ががそこでできるのは、そこに立ってそれらが砕かれるのを無力に見 ていることだけだった。」

価値のある初代仮面ライダーやマジンガーZのプラモを失った 衝撃と憤慨が、今また血祭氏の顔に瞬間的に浮かんだ。

「もちろん、俺はまた集め始めたけどね、でも当時は戦車に一 番興味があったね。ナチ・タンク。タミヤ社から出た軍事プラモの黄金時代のやつ。俺は戦車は男の子が組立てるべき唯一なものであると思うよ。ま、俺は単に プラモを作るだけじゃものたりないんだけどね。」

パテ、スーパー接着剤、小楊枝そして危険なカスタマイズをさ れた電気ツールを使用して、血祭氏は、英国兵士のタミヤ・モデルをウルトラマンの怪獣に改造していた。彼はポケットからそれを取り出した。それはウルトラ Qの金を食う怪獣カネゴンそっくりな物だった。どれだけの現金が彼の収集に投資したかを考えるふさわしい類似物でトミー社の兵士にはとても見えなかった。 血祭氏のモデリングの才能を誰かと競わせるなんて事はとてもできそうにない。しかし、1つのエリアが欠落していた。

「でも俺塗装できない。全然塗れないんだよ。」彼は笑いだ す。

1979年のある日、彼は友達宅へ彼の仲間を驚かすのを期待 しながらカスタマイズされたナチ・ジープを持っていった。そして多量生成されたキットによって即座に彼の最善の努力が砕かれる。

「俺の友達は、ガンダムのドーム・モビル・スーツのプラモを 持ってたんだよ。俺はそんなもの見たことなかった。で聞いてみたんだよ、「何だコレは?!」「知らねーのかよー。ガンダムだよ!」「ガンダムってなん だ?」俺は尋ねたが、奴は俺を笑ってるだけだった。俺は一番近くにあった、おもちゃ店に急ぎ、そこで働いていたおばちゃんに言ったんだ「ガンダムくれ!  ガンダム買いたい!」おばちゃんは、「何言ってんだよ。もうここにはガンダムはないよ!」

その頃ガンダムブームは日本で爆発していた。また、ガンダム キットはすべて売り切られていた。再び血祭氏は試練を乗り越えるという劇的な体験をした。

「そのとき、多くの新しい種類のアニメがあることを発見して それらのプラモが続々と発売されていたんだよ、で、俺はそれらすべて集めだした。ガンダムも。でも一番関心があったのは怪獣物や軍事キットだったね。」

そろそろ第2の質問を尋ねる時だった、そしてそれが事実上、 最後の質問となった、「どうやって希なマルサン怪獣プラモ入手したんですか?。」

次のビールを飲み干してますます赤い顔をした血祭氏は活気づ きながら話し続けた。

「ビリケンっていう有名なおもちゃ店があるんだよ。そこには 珍しいプラモがガラス・ケースに入っていた。俺が13歳だった時、初めてそこに行ったんだよ。ホビージャパンや宇宙船といったオタク雑誌の写真でしか見た ことないキットを初めてそこで生で見た。で、俺は全部買うって言ったんだよ。店員は俺の言葉を信じなかったみたいだったよ! でも、本当に全部買った。俺 の母親が買ってくれたんだよ。当時で多分30万円くらいだったと思う。今だにプラモコレクターの間では伝説の出来事だな。」

80年代オタクブームの満開であった。血祭氏(見たところで は、裕福な資力を持った家族と彼の古いモデルを捨ててしまった事から来る家族の罪の意識により)は、利点をすべて獲得するのに完全な位置にいたようだ。

「俺の家族は、ここに引っ越して来る前に地方で価値ある不動 産を売ったんだよ。俺は4人兄弟の末っ子で一番甘やかされていたな。」と自慢げに言う。

日本の大衆文化(バブル経済と同様に)を再び活気づけるアニ メーション業界のニューウェーブのみならずそのコレクターは特有な種類の有名人として出現し始めていた。

「16歳だった時、平井さんっていうプラモコレクター特集を 宇宙船誌で見た。俺は彼に手紙を書き、彼の収集を買えないかと尋ねたんだ。で、いいよっていうんで80万円持っていて彼のコレクションを買ったんだ。これ もひとつの伝説だな。」

十代の少年が一旦、日本(恐らく惑星上のさえ)のすべての最 も希なプラモを現実に所有するとどうするのか。

「初め、俺はそれらに触れたくなかった。それは俺の決まり だった。けど、キットを持っているのにそれらを組立することができないって事がモデラーとしての自分には気が狂いそうになった。で複製を作ることにした。 型を作ってそれらを組立するためにシリコン・ゴムを使用てね。でも、俺は塗装できないんだよ。悲しいことに全然出来ない。(笑)」

しかし、彼の黄金期は長く続かなかった。彼の家族の資産は部 分的に血祭氏のプラモへの出費によって底を付いていた。

血祭氏は、彼のオタク時計仕掛けオレンジ宣言を伝えた:「オ レは不良になった。でもたとえチーマーギャングだったとしても、俺たちはテレビのアニメ見て常にテーマソングを歌ってたよ。そんで再び外出しては悪い事し てたな。俺たちは、稼いだ金を3つに割けて使った: 酒、ビデオゲームそんで、プラモデルに。でもほとんどプラモにつかったな。」

不幸を合成すると彼の家族は20年間暮らしていた家を売るこ とを強いられた。彼の収集習慣が破滅をもたらした。そして血祭氏はとうとう生活のために働き始めなければならなかった。

「俺の一番上の兄が東映スタジオで働いていて、俺はそこの建 設仕事に付くことが出来た。毎月の給料日には、なつかし屋っていう下北沢にあるアンティーク店にいってはプラモデルを買たね。やがてそこのオーナーが、俺 に仕事をやめて自分の店を開くべきだと言ったんだよ。そうすれば俺は卸値で好きなモデルをすべて買うことができるからって。で、ビジネスについて勉強する ために、俺はなつかし屋でアルバイトで働き始めたんだ。結局、俺の父親が骨董品店の免許を得たんだよ。」

完全なビジネスを開くための資金がないまま、店先を持つまで 血祭氏と彼の父親は家を1/1のスケールプラモのように改造した。悲いことに彼の父親は、公式に開かれたセーラー屋と呼ばれる店の開店1か月前に死去され た。それは10年前の事だった。その後、現在にいたるまで血祭氏の人生は快適であるそうだ。

「今はプラモを売り、それらに関して執筆をする生活を送って いる。」

彼は、日本のプラモの歴史についてのいくつかの本を共同執筆 しており、フギュア王マガジンで毎月のコラムを書いている。彼の家庭生活はどうなのか?

「俺の母親は今70歳。彼女は俺と俺の妻と一緒にここに住ん でいるよ。母親には金はあげてないけど、いらなくなった古いプラモをあげている。そんで彼女はそれを売ってるんだ。」

え、ちょっと待て、今血祭氏は妻がいると言ったのか?

「10年前に彼女に会って、そんですぐに俺たちは恋に落ち た。問題は、彼女が実際は男だってことだ。でもそれはたった一つの問題だけどな。物理的にではなく精神的に俺たちは恋しあっているんだよ。俺はホモじゃ ねぇよ。俺はまだ女が好きだし多くのポルノ・アニメや成人ビデオを見てるよ。俺だってどうしてそうなったのかはわかんないけどな。」

今、リポーターは無感覚に陥っている。あまりにも多く正気で ないものは見、聞かされたせいで、血祭氏が男と結婚していると聞かされていることが最も正常な事のように聞こえてきた。また、彼の最終メッセージもそうで あった。

「あんたの読者に言っておいてくれよ、もし、日本語を勉強し ていないんだったら俺の店へは来ないようにって。日本語がしゃべれない外人には我慢できねえんだよ。」

プラモデルは彼を健全にしているすべてあるようだ。
 

-P.Macias 
 
 


 
 
 
 
 
 



 
 
 

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